@article{oai:toyama.repo.nii.ac.jp:00000699, author = {坂本, 麻実子}, issue = {2}, journal = {富山大学人間発達科学部紀要}, month = {Mar}, note = {application/pdf, 明治32年(1899),「高等女学校令」が公布され,全国に庁府県立の高等女学校の設置が義務づけられた。同43年(1910),さらに女子の就学率を上げるため,「高等女学校令」が改正され,本科(普通教育)の高等女学校(以下,高女と略す)に対して,裁縫を重視し,主婦教育を行う実科高等女学校(以下,実女と略す)の設置が認められた。実女は,高等小学校に併置することができ,教員も高等小学校との兼務が可能なので,高女よりも設置が簡単であった。そのため,実女は,大都市よりは地方で,府県内では郡部で相次いで設立され,郡立,町立,町村組合立が多かった。 本稿では,大正から昭和初期にかけて,実女から高女への組織変更に伴う音楽教員の需要について,東音の甲師卒や第四卒の配置状況と絡めて考察する。, Article, 富山大学人間発達科学部紀要, 3巻2号, Page 1-8}, pages = {1--8}, title = {実科から本科に組織変更した高等女学校と音楽教員の需要}, volume = {3}, year = {2009} }