@article{oai:toyama.repo.nii.ac.jp:00004866, author = {伊東, 多佳子}, journal = {GEIBUN : 富山大学芸術文化学部紀要}, month = {Feb}, note = {application/pdf, 自然を論じる上での困難は、当の自然が指すものが何なのかということがきわめて曖昧なことから生じる。芸術もまた、現代においては定義不可能なものと考えられている。だとすれば、自然を素材にした芸術はいったいどのように観照されるのか。環境芸術は自然環境を主題にして自然自体に素材を求めることで成立してきた。しかしそこで扱われる自然環境は、西洋哲学の伝統的な自然観ではもはや捉えきれなくなっている複雑な現代の自然環境である。未曾有の速度と規模で現在も進行している環境の悪化が示すことは、自然がもはや調和と秩序の中で循環する存在ではなく、死すべき運命の中に歴史を持つ人間と同じように、不可逆的な時間のうちに歴史を有する存在だということである。環境芸術もまたこのよ うな現代の自然環境を強く映し出している。 本論文では、英国の彫刻家デイヴィッド・ナッシュ(David Nash 1945- )の作品《トネリコのドーム( Ash Dome 1977- )》をめぐって、最新の環境芸術のありかたとそれによって示される自然と芸術の問題について考察する。, Article, GEIBUN : 富山大学芸術文化学部紀要, Vol.8, Page74-89}, pages = {74--89}, title = {自然の歴史化と環境芸術の物語性(3)デイヴィッド・ナッシュ《トネリコのドーム》に関する考察}, volume = {8}, year = {2014} }