@article{oai:toyama.repo.nii.ac.jp:00004751, author = {伊東, 多佳子}, journal = {GEIBUN : 富山大学芸術文化学部紀要}, month = {Feb}, note = {application/pdf, かつて哲学者たちは自然の時間と歴史の時間を異質のものとして説明してきた。自然は循環し繰り返すものであって個体の死は問題にされず、永遠の生命を持つと定義されるのに対して、歴史は人間の生に代表されるように、一回限りのものであって、死すべき運命へと縛り付けられたものであるとされていた。しかし、加速する環境の悪化という現実を目の当たりにすることによって、自然が永遠のものであるという定義自体が見直される必要に迫られている。おそらく、この地球上の自然にはすべて人の手が加わっていて、自然はすでに死へと向かう一回限りの歴史的な時間を持つものに変化している。環境芸術は自然環境を主題にして自然自体にその素材を求めることで成立してきた。永遠の時間よりも歴史的な時間を持つ死すべき自然のほうがリアリティを持つ今日において、環境芸術も、歴史的な時間性を獲得した自然と共存する道を探る試みが多くなっている。本論では、英国の環境芸術家アンディ・ゴールズワージー(Andy Goldsworthy 1956-)の作品《シープフォールズ(羊囲い)》(Sheepfolds, 1996-2007)をめぐって、最新の環境芸術のありかたとその可能性について考察する。, Article, GEIBUN : 富山大学芸術文化学部紀要,vol.4,Page 106-114}, pages = {106--114}, title = {石を包む石--アンディ・ゴールズワージーの《シープフォールズ(羊囲い)》をめぐる考察}, volume = {4}, year = {2010} }