@article{oai:toyama.repo.nii.ac.jp:00000274, author = {森賀, 一惠}, journal = {富山大学人文学部紀要}, month = {Aug}, note = {唐の陸德明(? -630)の『經典釋文』(以下,『釋文』と略す)は,それまでに蓄積されていた經書および『老子』『荘子』の音・訓・テキストの異同を集大成したもので,成立後は經典を讀む際の規範となり,阮元本十三經注疏にも部分的に合刻されている。『釋文』の音注の大半は僻字ではなく,常用の多音字に附されて字の意味を示す役割を擔うため,『釋文』は四聲別義のバイブル的な扱いを受けるが,經注の出現順に字が配列されているので,字ごとの音義關係がわかりにくい。そこで,『釋文』に見える多音字の音義の關係を整理しようとするものが現れたが,その代表的なものが宋の賈昌朝(998-1065)の『羣經音辨』(以下,『音辨』と略す)である。『音辨』は辨字同音異、辨字音聲濁、辨彼此異音、辨字音疑混、辨字訓得失の五門に分かれており,辨字同音異は卷一から卷五に,辨字訓得失は卷七に,その他の三門は卷六に収められている。分量的には七卷のうちの五卷を占める辨字同音異が最も多いが,後世に及ぼした影響では卷六の三門に及ばない。中國古代の家塾の教育カリキュラムとして知られる元の程端礼(1271-1345)の『程氏家塾読書分年日程』は『音辨』卷六のみを轉載しているし,同時代の劉鑑の『經史動靜字音』(1336)などは標音法こそ變えてはいるが,ほとんど『音辨』卷六の引き写しといってもいい。また,近現代の四聲別義研究の中には『音辨』卷六の記載を主な據りどころとしているものも多い。卷六だけがなぜそのように後世に影響を與えたのかについては,以前,森賀2000で少し觸れたことがあるが,本稿では,『音辨』辨字同音異と卷六辨字音聲濁、辨彼此異音、辨字音疑混に重出する字を取り上げ,その記載を比較することにより,『音辨』卷六のみが大きな影響力を持ちえた理由を考えてみたいと思う。, Article, 富山大学人文学部紀要, 59号, Page 35-76}, pages = {35--76}, title = {『羣經音辨』巻六について}, volume = {59}, year = {2013} }