@article{oai:toyama.repo.nii.ac.jp:00000025, author = {鈴木, 景二}, journal = {飯綱町の歴史と文化 : いいづな歴史ふれあい館紀要}, month = {Mar}, note = {application/pdf, 信濃善光寺宿から北上し越後高田を経て日本海岸に達する北国街道は、北陸地方と善光寺平さらに江戸を結ぶ重要な街道である。北陸の諸大名も参勤交代でこの道を往復した。その交通を支えていたのが街道筋の本陣である。しかし各地の本陣に残されている史料からは、大名の往来のみならず、本陣が街道を通じた交通のうえで果たした役割を知ることもできる。ここでは、信州牟礼宿(長野県上水内郡飯綱町)において富山藩本陣・加賀藩脇本陣を務めた加賀屋柳沢六左衛門家の記録を紹介する。この記録は、黒船来航直前の弘化四年(一八四七)から元治二年(一八六五)の幕末期、約二十年間に本陣が対応した十一の案件について、経過の記述と関係文書を収録したものである。, Article, 飯綱町の歴史と文化 : いいづな歴史ふれあい館紀要, 3号, 2015.03.31, Page 1-17}, pages = {1--17}, title = {信州牟礼宿の富山藩本陣・加賀藩脇本陣の記録 : 加賀屋柳沢六左衛門家史料}, volume = {3}, year = {2015} }