@article{oai:toyama.repo.nii.ac.jp:00017539, author = {谷口, 美樹}, issue = {1}, journal = {富山大学教養教育院紀要}, month = {Mar}, note = {藤原実資(957-1046)の日記『小右記』にみられる薬剤とは、呵梨勒・檳榔子・雄黄・巴豆・紅雪・紫金膏など唐物と称される輸入品であった。一方、藤原頼長(1120-56)の日記『台記』ではそれらを用いる処方例は減少し、薤を頻繁に服用している。また服用する日次について、陰陽師によって占勘されねばならなかった摂関期に比し、院政期では、医師がそれを担うようになる。このような相違を歴史的に位置づけることを目的に、本小論ではまず院政期における服薬の様態を考察する。史料として『台記』のほか、頼長の父である藤原忠実(1078-1162)の日記『殿暦』、頼長の祖父である藤原師通(1062-99)の日記『後二條師通記』などを用いる。薤や韮、蒜などの服用場面、社会的規制の軽重、服用の根拠としての医薬書など、平安貴族社会の身体への取り組みの一端を明らかとしたい。, Article, 富山大学教養教育院紀要, 1号, 2020.3.12, Page 50-69}, pages = {50--69}, title = {院政期における「韮」「薤」「蒜」服用の様態}, year = {2020} }