@article{oai:toyama.repo.nii.ac.jp:00016041, author = {熊谷, 隆之}, journal = {富山史壇}, month = {}, note = {斯波宗家は、足利泰氏の庶長子たる足利(斯波)家氏の嫡男で、斯波氏の第二代である。父家氏は『吾妻鏡』に将軍の近習として散見するものの、同書の記事は、文永三年(―二六六)までしか残らず、鎌倉後期の斯波氏については、茫漠たる状況にある。 そんななか、本稿で着目するのは、越中国岡成名(高岡市街地の北西、小矢部川の右岸、旧西条村の一帯)である。鎌倉末期の岡成名に関する関東裁許状二通には、斯波宗家とその嫡子斯波宗氏が登場する。これらの史料じたいは、すでに利用され、よく知られるものである。だが、おって述べるごとく、宗家をめぐる先学の理解には、いくつかの誤認がみられ、まずは、それらの混乱を整序する必要がある。 本稿は、岡成名をめぐる考察を糸口に、鎌倉後期幕府政治史の一側面の提示を試みるものである。, Article, 富山史壇, 181号, 2016, Page 1-9}, pages = {1--9}, title = {斯波宗家の去就 : 越中国岡成名を緒に、霜月騒動におよぶ}, volume = {181}, year = {2016} }