@article{oai:toyama.repo.nii.ac.jp:00015763, author = {澤田, 稔}, journal = {富山大学人文学部紀要}, month = {Feb}, note = {本訳注は『富山大学人文学部紀要』第67号(2017年8月)掲載の「『タズキラ・イ・ホージャガーン』日本語訳注(7)」の続編であり,日本語訳する範囲は底本(D126写本)のp.200/fol.100bの1行目からp.219/fol.110a写本の最終)までである。 ヤルカンドに拠るイスハーク派(黒山党)の勢力がアーファーク派(白山党)のホージャ・ブルハーン・アッディーンの軍勢に最終的に敗北して壊滅した経緯は,清朝史料では全く知ることはできないが,本書『タズキラ・イ・ホージャガーン』では詳しく述べられている。このイスハーク派勢力の最終的敗退の時期は『タズキラ・イ・ホージャガーン』に示されていないが,1755年の終わりか1756年の初頭と考えられる。当時ホージャ・ブルハーン・アッディーンの側に付いていた策謀家,ホージャ・スィー・ベグ(ホジスベク,霍集斯)が清朝に帰服後に供述したところによると,「2ヶ月余り囲んでヤルカンドを得た」という。そして,『タズキラ・イ・ホージャガーン』はイスハーク派ホージャたちの悲惨な敗走状態を描くなかで,その叙述を終えている。それは,同派ホージャたちの事績を主題とする本書として当然の処置とも考えられるけれども,イスハーク派の消滅がヤルカンド,カシュガルなどのムスリム住民にとって大きな時代の終焉,あるいは転換点であるとみなされたのかもしれない。, Article, 富山大学人文学部紀要, 68号, 2018.02.20, Page 27-43}, pages = {27--43}, title = {『タズキラ・イ・ホージャガーン』日本語訳註(8)}, volume = {68}, year = {2018} }