@article{oai:toyama.repo.nii.ac.jp:00015203, author = {黄, 亜蘭}, journal = {富山大学日本文学研究}, month = {Jul}, note = {小川洋子「人と人が出会う手順」(「小川洋子のmy memorabilia「私」の中の愛おしい記憶」『Donami』二〇〇八・六、のち『カラーひよことコーヒー豆』小学館文庫二〇〇九・一二、『国語総合』数研出版二〇〇三・一で教材化)は、「孤立感に涙する時間や効率の悪い作業や「私」が出会った祖母そっくりのガイドさんのように神様の気紛れとしか思えない偶然の果てに巡り合った仲間の方が味わい深い。そこには人が出会う手順が踏まれている」という趣旨のエッセイである。 しかし、孤独な収集家の少女、灯台守を研究する人や、神様の気紛れとしか思えない偶然を求める人が望む出会いは、たやすく訪れてこない。その前に色々を耐えなければならない。 小川洋子は「ひよこトラック」(『海』新潮文庫二〇〇九・三)で、物言わぬ抜け殻収集家の少女と仲間のいない初老独身男性との交流を描いた。「孤立感に涙する時間」を耐えながら、孤独な少女は誰かとの出会いを待っていた。「仲間と出会いたければ、ポスターを描き、一枚一枚糊で貼り付けてゆくくらいしか方法がな」い灯台守研究会の人も同じである。破れかけたポスターを頼りに、仲間との出会いを待っている。が、望んだ出会いに出会う可能性の低さに想像が付く。抜け殻収集家の少女と灯台守研究会の人には共通点がある。それは「効率の悪い作業」をしつつ、出会うべき誰かと待っていることである。 世の中に出会い方は様々である。キーボードのボタンをクリックすることで出会った仲間もいれば、孤立感に涙する時間や効率の悪い作業を通じて、巡り巡って、出会うべき誰かと出会えた人もいる。涙にする時間や効率の悪い作業を我慢しながら、出会うべき誰かと出会う瞬間は「自分の中に持っている強い意志が他者のそれと触れ合う瞬間」である。それこそが「私」の言う「人と人が出会うに相応しい手順」がきちんと踏まれていることでなる。 本稿はそのような出会いの難しさをふまえ、出会いを支える家族的類似性及び小川洋子作品の消滅と痕跡のモチーフを分析する。, Article, 富山大学日本文学研究, 2号, 2017.7.31, Page 7-12}, pages = {7--12}, title = {消滅と痕跡 : 小川洋子「人と人が出会う手順」}, volume = {2}, year = {2017} }