@article{oai:toyama.repo.nii.ac.jp:00015202, author = {東海, 義仁}, journal = {富山大学日本文学研究}, month = {Jul}, note = {小川洋子「私の愛するノート」(『博士の本棚』新潮社二〇〇七・七、新潮文庫二〇一〇・一、『精選現代文改訂版』(大修館書店二〇〇九・四)は、「自分」を支え、小説を書く原動力になっている「創作ノート」と「読書ノート」を「私」が愛するノートとしてを紹介するエッセイである。本エッセイでは「私にとって物語の存在は、いつも神秘的だ」と語られ、また指導書ではその叙述をもとに、日常生活が神秘にあふれでいることを伝えようというねらいが立てられている。エッセイの論理構成は以下の通りである。 「ノートが好きだ」という書き出しから始まるように、「私」がノートを好きな理由やノートをどのように使ってきたか、あるいは現在も使っているかが描かれる。 第一段落には一番たくさん使った時代として「私」の学生時代について描かれる。ここでは、「言葉の世界では、自分は自由なのだと感じることができる」、「十代の私の唯一の自己表現だった」、「いとおしい」という叙述からは、「私」のノートへの並々ならぬ思いが示される。 第二段落では「私」が社会人になり、主婦になった後の時期が描かれる。「創作ノート」を使い始めるまでの「私」は、ノートを使わない生活を「こんなことではたまらない」と思うほどにノートを欲している。「創作ノート」に「とにかく何かを書いてみた」ことが小説を書き始めたきっかけになり、「私」にとって「神秘的」である物語を生み出すのに「創作ノート」がいかに必要かが示される。 第三段落では「読書ノート」がとりあげられる。作家を励ます編集者の言葉と、作家が安堵した言葉の例によって、それが「私」を「物語の世界に戻」すために必要なものである。 このようにノートを中心に話題を進め、「私」が小説を書き始めるきっかけから、行き詰ったときに再び物語の世界に戻るまでの過程が描かれる。 しかし、本エッセイでは「私にとって物語の存在は、いつも神秘的だ」と語られ、また指導書ではその叙述をもとに、日常生活が神秘にあふれでいることを伝えようというねらいが立てられている。そこで、本稿では「神秘的」という言葉が指示する対象は何か、また、その叙述から日常生活に神秘があふれていることを伝えることは可能なのかを検討する。, Article, 富山大学日本文学研究, 2号, 2017.7.31, Page 3-6}, pages = {3--6}, title = {過去の行為を神聖化させるもの : 小川洋子「私の愛するノート」}, volume = {2}, year = {2017} }