@article{oai:toyama.repo.nii.ac.jp:00014465, author = {鈴木, 景二}, issue = {2}, journal = {古代文化 = Cultura antiqua}, month = {Sep}, note = {application/pdf, 鹿児島湾の最奥に面する霧島市国分には、かつて大隅国府・国分寺がおかれ、岡市隼人町には大隅正八幡宮(式内鹿児島神社。現在の鹿児島神宮)が鎮座する。八幡宮から海岸の浜ノ市へ約3km続く古道のちょうど中間ぐらいの地点に、「隼人塚」という国の史跡に指定されている宗教遺跡がある(図1)。周囲は史跡公園として整備され、隼人塚史跡館も設置されている。この遺跡を著名なものとしているのは、他に例を見ない等身大の石造四天王像である。以前は古代隼人関係の書籍に写真がよく載せられていたが、この石像が古代隼人の時代のものでないことは明らかである。その制作時期は平安時代後期から南北朝時代まで諸説があり、「隼人塚」の名称も近代に付けられたものである。本稿では便宜上、隼人塚の名称を使用する。 この施設の用途は依然として未解明であるが、近年、石造物などが歴史資料としても位置付けられるようになっており、隼人塚もそうした面から改めて検討する必要がある。本稿では、藤浪三千尋氏に代表されるこれまでの研究成果に依拠して、この遺跡についての情報を整理し、その性格についての見通しを述べることにしたい。, Article, 古代文化, 66(2), 2014.09, Page 245-254}, pages = {245--254}, title = {史跡隼人塚とその石造物}, volume = {66}, year = {2014} }