@article{oai:toyama.repo.nii.ac.jp:00014396, author = {難波江, 仁美}, journal = {ヘルン研究}, month = {Mar}, note = {application/pdf, Lafcadio Hearn(1850-1904)は、1877年に約7年間暮らしたシンシナティを離れてニュ−・オリンズに新天地を求め、そこでDaily City Item (後のTimes Democrat)の新聞記事やコラム、翻訳など精力的に執筆活動を行った。南部を代表する作家George Washington Cable (1844-1925)との出会いにも触発され、クレオール語やクレオール文化、そして一層文学へと彼の関心は向けられた。そして1887年5月、Harper’s New Monthly Magazine 掲載の“The Recent Movement in Southern Literature”という記事にルイジアナ作家としてケーブルと並んで紹介されるまでになる。ハーンは1886年から1887年にかけてグラン・アイル島に何度か長期滞在して小説の執筆に専念、Chita: a Memory of Last Island(1888年4月Harper’s New Monthly Magazine(No.455)掲載、翌年単行本出版)を完成させた。この小説はケーブルから聞いた実話——ハリケーンで生き残った白人クレオールの少女が漁師に助けられ、その後身につけていた装身具から身元がわかりニュー・オリンズの生家にもどるが、町の生活に順応できず島に舞い戻り漁師と結婚した―に着想を得たものだが、ハーンの小説では少女の身元は読者には示唆されるものの、最後の実父との出会いは認知に至らず、彼女は孤児のまま沖合の小さな島で養父母のフェリウとカルメンに育てられることになる。友人Henry E. Krehbiel 宛の手紙にハーンはこの小説について「フィロソフィック・ロマンスの精神で現代の南部の生活を描く試みですーー読者がキリスト教、汎神信仰、あるいはスペンサーの思想に従っていうところの魂、神、不可知なるものが互いに矛盾しないような世界を描こうとしたのです」(Writings 14:28-29)と書いている。しかし、個々の宗教や思想に通底する究極の汎神論に基づいた「フィロソフィック・ロマンス(哲学小説)」を目指すという大志を抱きながら、翌年の『ユーマ』(1890)を最後にハーンは小説を書くことはなかった。本論では、不毛に終わったとはいえ、『チータ』が意識や脳の働きに注目して彼なりの汎神論を展開しようとした意欲的かつ前衛的な試みであったことを検証したい。, Article, ヘルン研究, 第2号, 2017.3, Page 27-30}, pages = {27--30}, title = {ことば、記憶、“Creolization” : 前衛小説として読むラフカディオ・ハーンの『チータ』}, volume = {2}, year = {2017} }