@article{oai:toyama.repo.nii.ac.jp:00012905, author = {篠山, 重威}, issue = {1}, journal = {富山医科薬科大学医学会誌}, month = {Mar}, note = {本学の一員として最後の講義をするにあたって,過去8年間共に喜びと感動を分かち合い私の人生で最も充実した時を過ごさせてもらったことへの感謝の気持ちと, 本学を去らねばならぬということへの愛惜の情が私の心の中で複雑に交錯している。 大学の美しきは時計台や蔦のからんだ校舎ではなくて真理を探求する行為にあると言った人があるが,一方で, 人聞はいかなる場合にも絶対的な真理に到達することは出来ない。William Osler は真理とは最大限の努力をして得られる最上のものであり, その追求には謙虚な気持ちと真摯な心を持つ必要があることを説いている。我々臨床家にとって真実の詩を読みとる力は日常診療の中で抱く疑問から生まれる。過去8年間, この大学でモットーとして来たことは精神の目を聞き, 眼前にある真理に気づかずに過ごす運命の悲劇を避けることであった。本日は,我々がこのような過程でどのような疑問を抱き, どのような解決法を求め, そこからどのようなメッセージを得ることが出来たかを話そうと思う。これから話すテーマは70オの狭心症を訴えて来院した患者に出会ったことから始まった。この症例の血管造影を行ったところ, 驚いたことに左前下行枝が完全に閉塞しているにもかかわらず, 左室造影上壁運動の異常は軽微で駆出率も正常に保たれていた。これは右冠動脈から閉塞冠動脈の潅流部位に十分な側副血行循環が発達しており, その部位の心筋が死滅から免れているためであることが分かった。そこで, 冠側副循環の生理的機能に注目することになった。, Article, 富山医科薬科大学医学会誌, 5(1), 1992.03, pp.43-50}, pages = {43--50}, title = {冠側副血行循環に関する最近の見解}, volume = {5}, year = {1992} }